前回に引き続き、今回も「子なしで50代の芸能人夫婦」を一組選び、焦点をあててまとめてみたいと思います。
今回はお笑いの「爆笑問題」の太田光(おおたひかる)さんと太田光代(おおたみつよ)さん夫婦です。
ご存知のように、太田光さんの所属事務所は「株式会社タイタン」で、奥さんの光代さんがこの事務所の代表取締役社長をつとめています。
私生活も仕事も一緒でずっと長い間やってきた2人。 「夫婦円満」の秘訣もありそうです。
また2人は不妊治療をしていたこともあったようですね。
芸能人で子なし夫婦:太田光・太田光代夫妻
以前、「夫婦は似てくる?」という記事でもご紹介した通り、太田光と太田光代の2人は本当によく似ていると思います。
そんな2人の馴れ初めとはどんなものだったのでしょう?
実は2人の付き合いは「勘違い」から始まりました!
太田光と太田光代の馴れ初め
実は妻である太田光代さんは元芸人さんでした。 二人は同じ事務所に所属していたのです。
当時、光代さんは松永光代の名前で活動をしていました。
彼女は芸人としての仕事をしていましたが、最終的には女優をめざしていたようです。
そんなある日、事務所の芸人仲間で合同のコント大会を行うことになり、光代さんの家に仲間たちが集まることになりっました。
当時の二人は恋人同士でもなく、またお互い「いいな♡」と思って見ていたわけではありませんでした。
太田光さんと田中裕二さんの間にいるのが光代さん(当時)
当時の太田光さんは、ある女芸人さんから好かれており、追い回されていたといいます。
そのコント大会の集まりにもその女性はやって来たのですが、光さんにつきまとうのを見て、光代さんが助けるために、光さんを自分の隣に座らせたのです。 そのことで光さんは、
「オレに気がある」
と勘違いをします。 そして彼女の家に居座り、そのまま同棲生活に突入。
お笑い芸人だけあって、馴れ初めも笑ってしまうものですね。
その後2年間の同棲の後、2人は1990年に結婚します。 太田光さんは25歳、光代さんは26歳の時でした。
太田光と太田光代の最初の試練
結婚した同じ年に、太田光さんは所属事務所から独立をします。
「爆笑問題」をスカウトした瀬名英彦氏が「爆笑問題」を引き抜くかたちで独立しました。
しかしこれが元事務所の怒りを買い、彼は芸能界から干されてしまったのです。
太田は2014年の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系列)で独立についてこう言及している。
「『俺がたけちゃんを育てた』って言うから、その人に付いて行ったんですよ。そしたら、後でたけしさんに訊いたら、『あんなヤツ、知らねぇよ』って」
どうやら瀬名氏の口車に乗って独立したはいいもの、これが太田プロの怒りを買って干されたのが真相らしい。この時の太田プロの怒りは相当なもので、出演していた番組もすべて降ろされてしまう。比喩ではなく、爆笑問題がテレビから「消えた」のだ。
(エキサイトニュースより:https://www.excite.co.jp/news/article/E1450508276404/)
結婚してこれからだと言うときに、番組を降ろされてしまっては困ってしまいます。
光さんは相方の田中さんと異なり、バイトもできず家に引き込もってしまったと言います。
そして生活費は光代さんがパチスロに行ったりなどして支えていたようです。
太田光代さんが事務所「タイタン」を設立
そんな引きこもり生活をしていた光さんを見かねて妻の光代さんが事務所を設立することしました。 1993年のことでした。
普通なら、旦那さんがバイトもせず、家に引きこもっていたら、奥さんはイヤになってしまいますよね。
こんな状態なら離婚しても当然だったでしょう。
でも光代さんは違いました。 2人のため、また旦那さんのため、事務所を設立したのです。
旦那さんを愛しているからできたことなのでしょうね。
事務所を設立した1993年にはNHKの「新人演芸大賞」を受賞します。そして翌1994年に「GAHAHAキング」の初代チャンピオンになります。 そして更に2年後には、『ボキャブラ天国』へ出演し再ブレイクすることになり、今に至ります。
太田光と太田光代は不妊治療をしていた
2人は結婚10年目の2000年から子作りをスタートしたそうです。
事務所も軌道に乗り、「爆笑問題」の人気も安定してきだした頃で、「子づくり」について考える余裕が出てきた頃でしょうか。
きっかけは、光さんのお父さんが「孫の顔が見たい」と言ったこだったそうです。
結婚10年目を迎え、仕事も軌道に乗った00年、36歳の時に「子供が欲しい」と思い、不妊治療を開始した。
夫妻ともに一人っ子で、双方の親に孫を見せたいという気持ちもあったようだ。
3年ほど続けたが、治療中はホルモンバランスが崩れ、重いつわりのような症状が出て車も電車も乗れず、仕事にならないのでやめたという。
当時は、辛いから再開する気持ちになれないと話していた。(JCastニュースより:https://www.j-cast.com/2012/08/09142446.html?p=all)
私も不妊治療でホルモンのバランスが崩れた経験があるので気持ちは理解できると思います。それだけではなく注射のために何日か通院しなくてはならず、体だけではなく、心にも大きな負担がかかります。
しかし残念ながら、光代さんはこの時に子供はできず、一時治療をやめていたようですね。
不妊治療 (顕微授精)
2012年8月6日に光代さんは
「うんとね、三回って決めた顕微授精でできた受精卵のランちゃんを、どうしても移植出来ないの。いなくなったら嫌だし、三回以上受精卵を作らないって決めてたから。どうしたら、いいって思う?」
というツイートをしました。この時、彼女は48歳でした。
今回初めて顕微授精を3回やってみたところ、3回とも受精卵ができた。しかし1回目、2回目は着床に失敗してしまい、「三回目の着床が、またダメだったら、なんだかねっ、生きがいが無くなっちゃうような気がするの」と、ラストチャンスの受精卵を体内に移植する勇気がなかなか出せないようだ。
(JCastニュースより:https://www.j-cast.com/2012/08/09142446.html?p=all)
不妊治療についてはツイッターで時々ツイートしていた光代さんですが、この後は何もツイートをしていないため、もう不妊治療は行っていないと見られています。
なお、実は光さんは、男性の平均と比べて精子の量が少なかったため、自然妊娠が難しい原因となっていたようです。
太田光と太田光代は離婚しない?
夫婦で仕事や私生活の問題を乗り越えてきた感のある2人ですが、実はケンカもよくしているようですし、離婚を考えたこともあると言います。
光代さんは太田について「愛情表現をしないんです。『ありがとう』も言われたことない。好きも言ってくれたことがないんです」と太田への不満を語った。
(デイリーニュースより:https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/26/0006527765.shtml)
これにはちょっとビックリしてしまいますね!
しかし、実はわたしの旦那さんもその傾向にあります。太田光さんとわたしの旦那さんは同じような年代なので、「ありがとう」の表現を妻にあまりしないのは、昭和(後期)生まれの男性の特徴なのかもしれません。
離婚も何度も考えたというが、太田が普段から何もしないことを考えると「全部、あたしが離婚の手続きをしなきゃいけないのかと。それに、私は事務所の社長もしていますので、自分の分を分けなきゃいけないのかと。それで離婚が成立して若い女と再婚されたらたまんない」と離婚に踏み切れない理由を語った。
(デイリーニュースより:https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/26/0006527765.shtml)
不妊治療があったから離婚しない?
そう思いながら光代さんは、離婚しないと言います。
その理由は、まだ2人が不妊治療をしていた頃に、光さんの精子の量が足りないため、自然妊娠が難しいという報告を光さんのお義父さんに報告に行った時でした。
義父は「そんなことはないだろう」と聞き入れようとしなかった。
その時、太田が「データとし出てるんだからしょうがないだろ」と言った。すると義父も受け入れたという。光代さんは「かばってくれた唯一の瞬間。私の気持ち的に残っている。そこだけは良かった。離婚せずにやっていこうと、ようやく考えています」と語った。
(デイリーニュースより:https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/26/0006527765.shtml)
「普段色々不満はあるのに、このことだけで離婚しないの?」と不思議に思ったりしないでもありませんが、 そのことだけで気持ちがつながっている、というのもありでしょう。
人の気持ち、考え方は人それぞれです。
まとめ
太田夫妻は、まさに「苦楽をともにしてきた夫婦」と言えます。
ケンカしつつも、なんだかんだ言いながらやっていけるのは、この苦楽をともにした経験からかもしれませんね。
仕事も私生活も一緒だったからこそ、同じ経験をし、同じベクトルに2人で向いていったのでしょう。
とはいえ、仕事もプライベートも一緒なのに離婚してしまう夫婦も少なくありません。
その差はいった何なのでしょうか? 「縁」と言ってしまえばそれまでですが・・・。
このあたりのことは、これから考えていき、結論づいたらいつか改めて書いてみたいと思います。
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